2025年1月30日。
地方に住んでいる私の元に、発売日から一日遅れで一冊の本が届いた。

この一年数か月、彼女を取り巻く様々な状況を見ていて、応援の気持ちを込めて予約していた。
そして、私はたった今、この本を読み終えたところだ。
速読をしたため、抜けているところもあるかもしれないが、読んだばかりの新鮮な気持ちのまま、感想を書き残しておこうと思う。
タイトルの意味-私の解釈
いくつかの意味があった。
大雑把に書くと、
- 元の自分を失い、社会に置いてきぼりにされ、透明人間になったような自分がいた。
そこから回復していく中で、初めて知った「世界」「経験」があった。
自分にとって何が大切なのか、何を重視して生きていくべきか、物事が透き通って見えるようになった。=透明を満たしていった
- 人の尊厳を踏みにじったり、人を傷つけたりする人が逃げも隠れもできない、透明性の高い正しい世の中になることを望んでいる
このような様々な意味で、「透明」というニュアンスを使っていると私は解釈をした。
本の冒頭部分では、「透明」という言葉はどちらかというとネガティブな意味で、空っぽという意味に受け止められる。(それまで築き上げた自分が全て無になる、というような)
それが、後半になるにつれて、「混じりけの無い」「本来あるべき姿の」というような意味合いに変わっていくような気がした。
グラビアではない

「どうせ写真集を出したんでしょ?」というイメージを持たれている方がいらっしゃれば、この本はその類には属さないと思います……、と伝えたい。
このエッセイには、著者の生い立ちから、トラウマになった出来事の回想、そして何より詳細に書かれているのは、病気を発症してから回復に至るまで、彼女がどのように苦労をしたか、尋常でない痛みを伴いながら、過去の傷と向かい合ってきたか、という過程である。
写真はあくまで彼女の現在の姿を映しているもので、エッセイ(文章)の方に重きがしっかりと置かれていると思う。
写真にも意図的なメッセージが
しかし、写真は挿絵程度、添え物、とも言い切れない。
この『透明を満たす』のタイトルに合わせた細やかな工夫がされていた。
最初に続く数ページの写真、アイボリーの衣装を着た彼女の表情をよく見ると、後ろの背景がうっすらと透けて見える。
彼女自身が透明になった、という描写ともリンクし、細部までこだわりを持って書籍の制作をされたのだと感じた。
ほかにも、ベッドサイドで寛ぐ写真、日の光を浴びながら微笑む写真など、PTSDを発症した場所や苦手だった光の下で撮影をすることで、心身ともに回復している、というイメージを印象付けている。
前職場についての記述
アナウンサーの研修中、上司に言われて衝撃を受けた言葉についての記述が、私の中で印象に残っている。
「恋愛は3年してはいけない」
令和の時代に、プライベートに干渉する指示を平気で部下にする会社があるのだと、かなり驚いた。
もっと驚いたのは、「週刊誌にそのことがバレたら、あなたを起用したおじさんが拗ねてしまう」という言葉。
これを書いたことで、また渦中の放送局に対する議論は巻き起こるだろうなと思った。
そして、そのように著者が前職場のことを綴る背景には、彼女が、「トラブルは仕事の延長線上で起きた」と考えているからであり、会社として事後のフォローも行き届いていなかったことが原因だろうと思う。
全体を通して
同性として、この本を読んだ後には、著者の受けた傷・トラウマに憤りと悲しみを覚えたし、新たなスタートを切った彼女の勇気は称えたいと思った。
対して、世間では「便乗商法」であったり、「示談したのに……」であったり、様々なバッシングの声を毎日のように聞く。
真実が何なのかは分からない。
そしてこれからも明らかにはされないだろうが、一つだけ確かなのは、彼女が並々ならぬ決意でこの本を書き、これからもトラウマと戦っていくということ。
本を読めば、彼女が受けたのは性被害であろうということは何となくわかるし、若い彼女がそれを公にするまでには様々な葛藤があったと思う。
今はただ、少しでも彼女が自分のやりたいことを悔いなくできる人生になってほしいと思うし、これからは周りに頼りながら、助けを借りながら、明るい道を歩んでいってほしいと思う。
最後に、少しだけ私自身の話しをしたい。
私は、渚さんと同じ年の頃に、見知らぬ男に自宅まで跡をつけられ、アパートの敷地内で地面に倒され、手足に怪我をしたことがある。
今でも、左の手の甲には、硬いアスファルトの上を引きずられて出血した時の痕が残っている。
でも、それはほんの些細な傷にすぎなかった。医師は気の毒そうに、「全治2週間」と少し盛って診断書を出してくれたが、白い包帯は目立ちすぎてすぐ剥ぎ取ることにした。
手足の傷より私が苦しんだのは、精神的に残った傷の方だった。
「そうですよね、分かります」と軽々しく言えないくらい、眠れない夜の辛さ、トラウマを思い出したときの恐怖、動悸、息苦しさが想像できる。
たとえ回復したと思っても、これから先何十年経っても、嫌な記憶は折に触れてよみがえってくると思う。
自分の過去からは死ぬまで逃れられないから。
それでも、その苦しみを乗り越えた先には、様々な嬉しい出来事や、宝物のような出会いが待っていると伝えたい。私の場合はそうだった。
渚さんが、これからも自分らしく活動されること、そしてすてきな人生を歩まれることを陰ながら応援しています。
